2011年08月09日

怒りをおさえこんでしまう

怒りはもともと自然な感情です。たとえば幼児が、自分の欲求を外に伝えようと思ったら、怒るほかありません。顔を真っ赤にして泣くことで、自分の不快な状態を他人に伝えて快適な状態に変えていくわけです。不快を快に変えるということは、個体が生命を維持していく上には必須なことで、不快を感じない状態、感じていても表現できない状態というのは生命の危機にほかならないわけです。

痛みを感じない人間を想定してみてください。彼は非常な危険にさらされています。痛いからこそ生きているということですし、痛みを感じてこそ、生きていかれるというわけでもあるのです。

怒りは、こうした不快感のひとつです。
怒りを感じられない人間がいるとすれば、その人はむしろ危険な状態にあるということになります。

痛みや、渇きについては、その表現が抑制されるということは、あまりありません。
今、喉が乾いているとか、今、痛いということを表現しない人はまずいませんし、表現されることも許されます。程度の問題ですね。

怒りに関しては、徹底的に我慢することが社会から要求されます。それが教育といっていいくらいです。

たとえば、ある程度の紳士は怒りをあらわに見せてはいけないとか、女性は怒っていることを人に知られてはいけないとか、文明人だったらいつも冷静にしていて、自分の感情を乱してはいけないとがが念頭にあって、怒りというのは種々の手段で抑圧されます。

この怒りの抑圧と依存症ということの間には、たいへん緊密な関係があります。

<引用文献> 斎藤学(2009)依存症と家族 学陽書房
posted by ikuaka at 17:47| ○ご相談のケーススタディ
カウンセラー/臨床心理士  明石郁生 家族とAC研究室 http://www.ikuoakashi.jp
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