2014年11月21日

ACが生き延びるためにしてきたことへ

IMG_1514.jpg

アダルトチルドレンカウンセリング:
いまここで、自身を振り返り、気がつくことは時につらい作業になることがある。
それは、生き延びるために(無意識に)そうぜざるを得なかったことであるかもしれない。
身体を鎧のように使い、思考をコンピュータのように扱い、神経を随意的な活動と扱い、感情を全てコントロール出来るものとして扱って来たかもしれない。
それらには必要があったのだ、生き延びるために。

いま、ここで、スキップしてきたもの、失ってきたものに驚くことがある。

良い人になろうとしている自分の行動・思考に気がつく、
自分の怒りや悲しみを見ないで、相手にぶつけそうになることに気がつく、
自分の欲求を見ないで、仕事してしまいそうな自分に気がつく、
自分の欲求を見ないで、相手のめんどうをみてしまいそうになる自分に気がつく、

喪失を味わい、そのプロセスの先には、その人の個性化への機会が開くと体験してきた。
そのプロセスが、「自分の専門家」になる過程であると信じています。

こころの課題は変化の機会、森や海や音楽のように。



2014年11月19日

アダルト・チルドレン ドリームワーク

IMG_1566.jpg

ステップママの家族がやってくる。
私の知らない、誰かがたくさんいる。

私の存在を紹介する人が誰もいない。居心地のわるい時間が流れていく。
私は父に怒る決心をして、どなった!
背後でそれをたしなめるような声が聞こえるが、私はかまわず、父に怒りをぶつけている!
父を殺しそうなエネルギーを感じている。
5.26.2014
アダルト・チルドレン ドリームワーク





2014年11月14日

ACグループワークで、思ったこと、ずっと居場所を探し続けてきた。

IMG_1552.jpg


アダルト・チルドレンのプロセスは、ずっと居場所を探し続ける道のり
であると言えるかもしれない。

それはどんな場所?

父性にほめられ、母性に抱かれる、場。
しかしながら、それらは外界の社会、他者に探すより、私たちの「内」にあるのだと知った。
私たちの内にある、父と母を、つまり私をそのまま愛すること。

私がそのまま、私を愛せる場。
私という人は愛されたいとずっと願ってきたのだ。
出会う人に、周囲の人に、仕事で出会う人に、
強く、愛されたいと行動をしていた。

それがゆえに、自分を失っていたのかもしれない。
自分でいること、私を失っていたのだ。
自分でいることとは、私でいること。

ACグループワークで、思ったこと。





2014年06月24日

(仮)アダルト・チルドレンを対象とした心理臨床・開業セラピストの報告


2014年、秋の学会での一般演題ように書きためてきたテーマを整理することに取り掛かろうと思う。
当事者研究と、臨床家として臨床事例を、先行研究と展望していきたい。

(仮)アダルト・チルドレンを対象とした心理臨床・開業セラピストの報告

精神医学的見立て
臨床心理学的見立て
幼児期に傷ついた
 殻に閉じこもる防衛
 生命に対して閉じられる
 心に達するありとあらゆる行為に不信の念を抱く
アダルト・チルドレン才能の考察


1. 生き残るためやってきたこと
2. 生きづらさは,あなたのせいではないが
3. 機能不全家族のコミニケーションパターン
4. 鎧とコートとマフラー
5. サバイバーとしての才能 
6. スキップしてきたことを怒り,悲しむこと
7. 昇華
8. 自分の個性を信じる力

2014年03月05日

パワーゲームを降りるための10のステップ その2


kamakura.2014.2.25

ステップ:2 
○○することへの執着は、他人の評価を気にしすぎるところから始まり、自分の意志の力を信じすぎたことでひどくなったことを理解した。


次は、「理解のステップ」です。敗北宣言をした原因について冷静に分析して見ましょ
うという段階です。

さて、あなたはなぜ、そんなに困りながらも、そのことにこだわり続けてきたのでしょうか。それは、他人の目が気になるからです。あなたは、自分が「あるがままの自分」で受け入れられると思えず、「こうあるべき自分」に改造しようと努力を重ねてきたはずです。

そうしなければ人に愛されないという強迫観念にかられて、不安のあまり努力してきたのです。
そして、それは自分の「意志の力」でなんとかできると信じてきました。そうできないと、「意志が弱いのだ」と自分を叱咤激励してきたはずです。けれども、あなたの力には限界があり、とうてい何もかも思い通りにはできません。
がんばってもがんばっても、他人はおろか、自分さえも思い通りにはできないのです。
「意志の力」は全能ではありません。そのことを素直に認める時がきたのです。
「意志の力」は、もっと「別の力」に負けたのです。意志の力は、この「別の力」に負ける時が、必ず来ます。つまり、あなたが意志の力を信じている限り、いつか必ず負けるのであり、意志の力を信じ過ぎたことこそ、あなたが負けた原因なのです。

引用文献
<斉藤学(2004)「自分のために生きていける」ということ ー 寂しくて、退屈な人たちへ ー 大和書房>


海と波打ち際、雪 


さて、私は自分自身の敗北宣言について考えてみた。

どうしようもない長い病気体験をしながら、自分の人生がまっとうな道ではないということを受け入れたことは「敗北宣言」といえるだろうと思う。しかしながら、奇跡的に、偶然の出会いや流れで完治した後、また「意志の力」でなんとかしようと考え、ビジネスマンになろうとした。

とりくんだビジネスでは、ワークホリックに磨きがかかった。経営者だからという言い逃れに飲み込まれた。
ビジネス(適切な商取引で利益をだすこと)が目的なのか、他者に認められたいのか、居場所を作りたいのか、おおいに混乱した。意志の力をぐいぐいと過剰に信じながら、一方では、これは違う、これは違う!ここを超えたらほんとうのことをやろう!などと言い逃れていた。

こんどは、過労で倒れた。

どうして、いい年して同じことを繰り返すのかと苦しんだ。

とにかく自分を知ることにした。

そうすると、自分とは相当傷ついていて、それらが癒えていないばかりか、強く抑圧し、否認していたのだと知った。

それに気づくことは辛い作業になった。




2014年01月22日

パワーゲームを降りるための10のステップ その1

以下 >印は<斉藤学「自分のために生きていける」ということ ー寂しくて、退屈な人たちへー 大和書房(2004)>からの引用です。

>寂しさに苦しみ、そこから回復したあなたは、自分なりにその知恵をステップにしてみましょう。そこにはきっと、あなた自身が寂しさを通りぬけた後の宝石が輝いているはずです。「AAの12ステップ」を参考にしてもいいでしょう。

>その時、必ずしなくてはならないのは、「私はこれでいい」という肯定のステップです。現状に行き詰まりを感じていても、それを認める。何か変わらなくてはいけないけれども、そのために今の自分を否定する必要はない、ということ。

>「これでいいのだ」と思えることが、じつは一番の変化であり、「あるがまま」を認めれば、変化はひとりで起こってきます。なぜなら、「じぶん」というもの、自分が必要とするもの、求めるものは、刻々と変化しています。
ですから、あるがままを認められれば、変化せずにはいられないのです。

>これに反して、
「よい子」や「良妻賢母」は、他人に対して固定された状態を意味しています。変化がありません。こういうものに自分を閉じこめてはならないのです。


「パワーゲームを降りるための10のステップ」をひとつのガイドラインとして、私自身のプロセスを整理していきたいと思います。

ステップ1:
わたしは、◯◯することへのこだわりから離れられず、この執着のために日々の生活がままならなくなっていることを認めた。


>これは「認知のステップ」で、一種の「敗北宣言」です。とにかく自分は「困っている」。いろいろやってみたがどうにもならず、もうお手上げ状態である・・・・と、認めることから、このステップは始まります。


私の場合、ここの◯◯にあてはまるのは、「仕事」「コントロール」「他人になんとかしてあげる」「生き残る」「前にすすむ」などいろいろあてはまりますが、共通するものは、「意志の力でやること、そして存在を認めてもらうこと」。なのだろうと思います。

「意志の力で眠ろう」とさえしていました (^^ゞ

このあたりを物語にして、ノートに書き綴っていたものをテキストにしていきたいと思っています。
  →(仮)物語としてのAC


ーー






2014年01月11日

パワーゲームを仕掛けて生きてきたプロセス

さて、自分のビジョンを確かめて、一安心しつつ、自身のサバイバー的姿勢やワーカホリックに取り組んできたプロセスを振り返ったりしてみようと思っています。これまでのプロセスやこれからのプロセスが、必要な方へのシェアになれば嬉しいなぁと思います。(これが私のビジョンの中心でもあるのでしょう!)

私がアダルトチルドレンという言葉を知ったり、自覚したのは40を過ぎてからのことです。心理の学びをはじめたのとほぼ同時です。

それまでは、私はわたし自身に文字通りパワーゲームを仕掛けて生きてきたプロセスだったと振り返っています。

ーー




2014年01月09日

ミニミニひとりビジョンクエスト瞑想

年末と年始のお休みに、ミニミニひとりビジョンクエスト瞑想をした。(笑)

私は、意志の力ですべてをコントロールすることに、とらわれていると気がついた。
そこから、これまでのさまざまな心象が浮かんだ。

私は、虚無感、無力感を感じていた。それらを否認して、猛烈な行動とその達成感で解消しようとしていた。それらはもちろん身体を痛めつけることになり、頭痛や不眠やヘルペスという身体症状サインが起こることに気がついている。

問題は、私が、受け入れ感謝するべきなこうした、大切なレッスンを見えていないということだ。

どうして意志に執着するこか?これまでもずいぶんとりあつかってきたが、たぶん、いまだ、身体に腑に落ちていないのだと思う。めんどくさいやつなのだ!

「意志の力」への過信は、バーンアウトするし、身体症状を引き起こすし、自分自身や家族とつながれない!ゆえに、たぶん、愛を知ることができない。

意志の力への執着を手放すことのひんとはどこにある?  

たぶん、「いま、ここ」のプロセスをしっかりと受け取ることだと思うにいたった。

私はいまいちど、もう少し、自身を愛することを学ぶことにする。

とノートに書いた新年のスタート。

感謝を込めて。





2013年12月07日

共依存からの回復とは、アイデンティティ変容実感をともなうかもしれない。


ーー
夢をずっと見ている、原家族、以前の組織、どこかの時代に係わっていたコミュニティらの人々がメタファとして登場してくる
意識にのぼってくると、その続きを創作しようと意識が働いてくるのを感じている。そして、また夢を見ている。私はしっかり誰かに怒っている。パンチまで打っている!
そして、少し眠れている。

身体が疲れているのを感じている。私は私であることを感じている。

今朝は、ぼーっと脱力している。
新しいアイディアを一から考えなくて良いと気がついた。そういう日なのだ。ルーティンの日なのだ、ルーティンをたんたんと大切にしてみる日なのだ。

3本目の論文が小規模なジャーナルに掲載された。

この論文を英語にしてドクターに読んでもらいたいと思っている。これまで右も左もわからずに無我夢中で、かき分けてきたイバラの道を結果的に学術的にまとめた形となったことは驚きであるし、感慨深い!大学院入学から7年たっている。私の動機であった医療者の説明モデルへの怒りの成果、区切りになったと思う。

ドクターに読んでもらいたいと思う。それは今後の私の活動の方向性を示すし、私の人生の方向性に係るものになると思う。

章立てで、ドクターのセクションを空けてあるんだ!そこに記述とデータをもらい、編集し次の医療者むけの学会誌へ投稿しようと考えている。そして、その英語版は、英語圏のジャーナルへの投稿を開く。

整理しきれていないが、私は自分の苦闘体験、そして回復、その後の過程と多くの“仕事”を成し遂げてきたと感心する。しかしながら、それを味わって自分のものにする過程が抜けていると思う。

いま、ここで感じるのは、次のアイディアではない、仕事をしっかり語り、世に問うことを通じて、
私は私である、オルタナティブな物語を分厚くすることであると気がついた。

共依存からの回復とは、アイデンティティ変容実感をともなうかもしれない。

2013年11月06日

アダルト・チルドレンーこころと身体の関係



腰痛、背中の痛み、頭痛、のどのあたりの締め付け感、胸の痛み、胃のあたりのこわばり、不眠、強い眠さ、あせり、イライラ、落ち着きのなさなどなどさまざまな身体感覚と感情が、生きづらさと関連していると経験しています。

グループワークで体験できることのひとつに、家族や周囲から自分自身に何か起こっていたのか?
サイコソマック(心身相関)な影響をひもといてゆくことの可能性を開くことにあると研究・実践しています。このような課題に取り組まさせていただいて感謝です。(^^ゞ

家族に緊張が日常で、言いたいことが言えない、感情をだせなかったなどの体験は、その時に処理することができなくて、(当然ですね子どもですから)あとになって発声に問題を抱えてしまったり、つねにのどを抑圧する傾向があったり、あるいは喘息や気管支系のトラブルを抱えやすく成るかもしれません。
参考<吉福 1989 トランスパーソナルセラピー入門 平河出版社>

カウンセリングで記憶や言語化に取り組みながら、体験的なグループワークを合わせてセラピーを取り入れることを研究・実践することは、“アダルト・チルドレン”の困難を理解していくことにつながると考えています。

2013年10月23日

アダルト・チルドレンという才能の考察ー7

アダルト・チルドレングループワーク#3ー1回めを10月20日日曜日に行いました。

アン・W・スミスによれば、機能不全家族が及ぼす影響についての認識「いわゆるアダルト・チルドレンという概念」がどれほど変化してきたか、専門家は自分たちの技術や技量によるものと思いたくもあるかもしれないが、そのほとんどは、クライアントの皆さんやセラピスト自身の人間的変化から教えられていると認める。
(アン・W・スミス著 斉藤学監訳 2005 アダルト・チルドレンの子どもたち)

私はグループワークの参加者にみなさんそれぞれが、アダルト・チルドレンの自覚、あるなしにかかわらず、その概念を利用して集まりワークの“場”を形成していくプロセスにこころから敬意を持ちます。

ところで、トラパセラピーの概念では、セラピストが唯一提供できるのがコンテクスト(場、文脈)、世界観、人間観のようなものである。これはセラピストの人間観や世界観がセラピーに参加している人に暗黙のうちに影響を与えるという考え方に根ざしている。それゆえセラピストは自身の人生をしっかりと体験して、大半の人間が通過するさまざまな感情的なゆらぎ、悲しみ、怒り、無力感などを体験している必要がある。また、セラピストという立場を絶対視しないようにし、役割としてのセラピストをしない。その人の存在そのものや生きざまが提示されているセラピーが理想とされている。そしてある局面から、参加者とともに成長、同行者のようになっていく。
(吉福伸逸 1999 トランスパーソナルセラピー入門)

また、従来のセラピー、心理療法などは、治療者側がなんらかの専門知識を持つことでクライアント分析の対象としてきたが、ナラティブなアプローチの立場では問題を経験してきた人々こそ、特定の問題の起こり方、問題の接近の仕方、その問題の好き、嫌い、問題との関係の変え方、対抗方法について専門知識を持っていると想定します。
(野口 裕二 2009 ナラティブアプローチ)

アダルト・チルドレンの概念を使った自覚、そしてその能動的なワークに取り組む人々は、自分自身を癒やし、周囲に肯定的な変化をもたらす存在であると確信します。


感謝を込めて。


アダルト・チルドレンという才能の考察ー6

アダルト・チルドレングループワーク#2  6.23 6.30 2013 ノート

 私たちは、この発展途上で矛盾した外界に生を受けました。そして、アダルト・チルドレンというひとつの概念でこのような場に集っています。
私はアダルト・チルドレンの自覚のある、なしにかかわらず、それらの人々を、精神医学的な、たとえば複合型PTSDという診断名にくくられて、困難な人生を歩むだけの人々とは思っていないのです。私自身すくなくともそう思える体験をしてきたし、そして今でも変容のプロセスを歩んでいる一人である。

 世界には先人たちが記し実践してきたさまざまな心理学的理論、心理療法があります。 私は心理臨床に携わるもののひとりとしてそれらに敬意を払います。アダルト・チルドレンの概念に関して、何か一つの確信的な理論、技法を用いようとしているのではありません。私は、臨床の場において、身体やこころに発せられる、今、ここでのシグナルにできるだけ意識を向けて係わっていこうとする姿勢を大切にしたいと考えています。

今では、当事者研究というやり方が気に入っています。自分を知ることを探求し続け、自分をセラピーし、それらの断片をご縁のあった人々にシェアしようと思っているのです。
 
 生きづらさ、たとえばそれが、人間関係の悩み、強い不安、怒り、恐怖、悪夢やフラッシュバックを伴うものであったとしても、それは私たちをより、全体性に向かわせ、私たちらしくあろうとするための成長、変容、サイン、機会であると信じているのです。それは、モダニスト的医療従事者らの説明モデルからすると、無謀であると言われることは十二分に知っているつもりです。

たとえば、湧いてくる怒りなどは、当然の生理現象であり、コントロールするとか、癒やさなければいけないことだけではないと感じています。安全に十分にプロセスするべきな大切なものであると思っています。私はそのことに様々な先人の理論、技法を学びトレーニングを受け続けていますが、心理臨床現場では日々悩み、戸惑い、時には逆転移に覆い尽くされることもしばしばあります。私は、ごまかしたり、すかしたりすることは誠実を欠くことであると思っています。そのことは私の自覚と覚悟を深いレベルで求めてきます。
 
個人的な願いは、いま、ここで感じた自己、場につながっていてほしい。それは、半年、1年、3年、5年、10年の間隔を経ても。
悩みからはじめて、知らずしらずのうちに成長の機会、全体性に向かうことは
ユング、ミンデル、オーエン、斎藤学さん、吉福さんらが示してくれいるように私は確信を感じています。
アダルト・チルドレンとは、その概念を使って、自分を自覚し、よりよい自分に変容するためのプロセスそのものであり、その道は自身の力であると信じています。



2013年10月17日

アダルト・チルドレンという才能の考察ー5



今朝、これまで私は “なかなか” やってきたなと思えた。私は「いま、ここに」いることを感じている。いろいろな無謀なことがらに関する後遺症と思われる、うっすらとした頭痛があるがイヤな感じではない。身体の疲れ、だるさ、おとろえのようなものを感じている。
 締め切りをたくさん設定して、小刻みに打ち合わせを入れて、たおれるように寝て、を繰り返して
 それらの興奮を金曜日の夜にシャンパンで流し込んで、二日酔いの週末にハードなエキササイズをする。
 月曜日の仕上げはタイラノールだ。

気がつくと、そのような生活がでじなくなっていた。
ただ単に年をとって、身体が衰えただけなのか?
必要がなくなったのか?

アダルト・チルドレン体験がが影響したと思われる生き方からの、回復とはどのようなもの、状態なのだろうか?と日々考えている。セラピストの仕事とは、自分を知ることそのものであると思う。

2013年03月29日

アダルト・チルドレンという才能の考察4

P92fujisaset.jpg

受けてきたものが言語であれ、身体的であれ、映像であれ衝撃であったのだと思う。自我が知的に介入し、処理することのできる時期ではなかったし、それはあなたの責任ではない。身体と心を守るために、衝撃に関連した感情を抑圧してきたかもしれない。それは長い間、「必要」であったことであるといえる。生き延びるために、そのデフェンスシステムを使ってきた。

アダルトチルドレンの自覚がある、なしにかかわらず、今、大人になってそれがそんなに「必要」でないことは頭では理解している。・・・が、感情を表出することに困難を感じる、もしくはそれらの影響で対人関係や愛情関係、世界観に困難を生じている。
感情を表すとは、底なしで、誰かを傷つけるものであると感じているのかもしれないし、実際そのようにしてきてしまったのかもしれない。それでなお混乱し傷ついた。

アレクサンダーローエンによれば、その人の人生経験が身体構造を作り上げ、その身体構造が今度はパーソナリティを形成していく、そのようにして過去の体験が現在において生き続けることになる。
だから、過去の束縛から自由になるには、私たちはまず最初にこれらの拘束の源になった経験を自覚しなければならない。
(Alexander Lowen 1994 村西詔司・国永史子訳 からだのスピリチュアリティ 春秋社)

それゆえ、言語を使用したカウンセリング、セラピーと身体に直接働きかけて筋緊張を減らすアプローチの双方が必要であると考える。カウンセリングは難航することが少なくない。言語をつかって、今現在や、過去に自身に起こったことを語るには安全な環境や時間が欠かせない。
 しかしながら、私たちは、悩み、生きづらさ、相談などからはじめるがその道は、知らず知らずのうちに、自分自身の育てなおし、統合への道に向かうことは間違いない。
統合の道に向かうこと、その力を才能と呼びたいと思う。

2013年01月28日

アダルト・チルドレンという才能の考察3

IMG_0236.jpg

 ・・・私たちは(症状)(たとえば悩み・生きづらさ・葛藤・症状行動と呼んでもいいかもしれませんが、)から出発しますが、知らず知らずのうちに、全体性へ向かう流れに乗ることができるのです。
アーノルド&エイミーミンデル 富見幸雄・青木聡訳(1999)うしろ向きに馬に乗る プロセスワークの理論と実践 春秋社

そのプロセスを回復と呼んでも良いと思いますし、たんに気づき・発見・成長・変化・変容と呼んでも良いとおもいますし。あえて一般的な言葉を使うことにチャレンジするならば“自己実現”と呼んでも良いと思います。他己ではなくです。
この道を歩くことができることを才能と呼びたいと思います。


アダルト・チルドレンという概念は精神医学の診断名でもないし、欠陥や障害や劣等感をあらわす言葉ではありません。人を誹謗中傷するためのレッテルでもありません。自分の生きづらさの理由を自分なりに理解しようと務める人がたどりつくひとつの自覚です。この自覚を用いて、より豊かで自由な自己をつくり、じこを保護するのです。
<参考文献>斉藤学(1996)アダルト・チルドレンと家族 学陽書房

もしあなたが何かに悩み生きづらさや症状があるとしても、それは家族(世間・他者)に向けられたメッセージであると考えるところからはじめます。<参考文献>斉藤学 (2012)PIASトレーニング

2013年01月17日

アダルト・チルドレンという才能の考察2

IMG_0012.jpg

健康の持つスピリチュアルな側面に焦点をあてることを可能にすること。

健康とは主観的には、体に感じられる生気や快感という感じである。これは時には、喜びの感情へと高まっていく。そのような状態のなかでこそ私たちはすべての生き物との親類関係を感じ、外界とのつながりを感じ認めていく。一方、苦痛は私たちを孤立化させ、他人から切り離す。病気になれば、症状にかぎらず、症状ゆえにこうむる孤立によって私たちの健康が危うくなる。

 健康とは客観的には、体のグレイスフルな動き(自然な美しさ・優美さ)、体の放つ熱(燃え輝く健康)、体の柔らかさや温かみの中に現れている。これらがずべてなければ、死あるいは死に至る病いである。私たちは柔らかで、しなやかであればあるほど、健康に近い。

(Alexander Lowen 1994 村西詔司・国永史子訳 からだのスピリチュアリティ 春秋社)

2013年01月16日

アダルト・チルドレンという才能の考察



無条件に愛されたとか、どこかに属しているという感情を楽しんだことのないセラピストも多い。
彼ら、彼女らは自分のクライアントと同じく、こどもの頃に褒められたり、可愛がられた経験がないかもしれない。セラピストになろうという理由が自分自身の問題を解決することであるという人もいる。子どもの頃に始まる深い内生的な探索、自分自身に対する疑問、他の人々との関係、生まれついて持っていなかった何かを自分自身のために創りだそうとする試みなどである。

これらの理由から心理学に対する深い興味を発展させていく。他者に属し、他者も何かに応じてくれて、感謝の念が増し、他者を助けたいという願望はすべて、この分野に卓越した人になるための重要な動機である。

自分に向き合うことの大切さとして、
この種のセラピストは、仕事、生活等すべてうまくいっているときに、くつろいでいることが難しく感じるかもしれない。賞賛されて快い気持ちでいたり、求めずに得られたものを楽しんだり、努力なしに愛情を得たりすることを喜べない。相手から何かを受け入れるという点に関して、その人は傷ついたままになってしまうかもしれないという難しさもある。

緊張しながら、セラピストは、なぜクライアントや周囲が自分のことを褒めるのか?感謝するのだろうか?クリスマスにプレゼントをくれるのだろうかと疑問を感じる。

テニアン(1802〜92、英国の詩人)が書いているように、セラピストは「飢えた心で常に放浪し」続けるかもしれない。それはほとんどその職業の本質であるようだ。ある事柄が単にそこに存在していることに気づかず、すでに見つけたものをいつまでも探し続ける傾向があるかもしれない。


<G・ワインズバーグ(1984、1996)高橋祥友 監訳(2001)セラピストの仕事 金剛出版> 
カウンセラー/臨床心理士  明石郁生 家族とAC研究室 http://www.ikuoakashi.jp
ACという生きる力ー自分の専門家になるー無料 News Letter
カウンセラーのためのマーケティング実践 無料 News Letter